HOME > インタビューアーカイブ > インタビュー:林晶彦さん04

シャガール美術展でのコンサート

  • 1989年、フェスティバル出演後のある日、兵庫県立美術館で、シャガールが生涯離さなかった作品がパリからやってくるという新聞記事をみました。とても大きな美術展です。シャガールの作品が僕は大好きで、シャガールの作品を題材にした曲も作っていたので、こんなところで演奏できたらいいなって思って、フェスティバルの録音テープを、美術館に持って行って、聴いてもらおうと思いました。当初は追い返されたのですが、いろいろな方の理解と協力をいただいて、演奏ができることになって、美術館でのコンサートは満員になりました。
  •  その後も、ロシアから名古屋にシャガールの絵が来た時は、ピアノソロと照明による演出が入り、色彩と音楽ということで演奏会をさせてもらいました。中日新聞社と名古屋市美術館の主催でした。そういうことができたのも、ヤマシタさんのおかげなんです。僕は学校を早くに辞めていて、学歴とかそういうものはないし、人に信頼してもらえる資格などをもってないでしょう?ですから、有難い出会いと多くの方々の善意で、奇跡みたいなことが次々起こっていきました。

初めてのCD制作~「エヴァンゲリオンⅠ」

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  • また、ある方のご紹介で、女子パウロ会のシスターを紹介していただきました。マザーテレサの映画を初めて日本で作ったシスター白井さんでした。その方にテープを聴いてもらったところ、「うちが出しましょう、女子パウロ会から。好きなように作ってください。費用はこちらが出します」と言ってくださったのです。それで初めてできたCDが、「エヴァンゲリオンⅠ」というCDです。そこはメディアを通じて宣教活動をするグループで、マザーテレサのDVDを作ったり、いろいろな音楽CDや書籍もたくさん出されていました。
  • 写真:Akihiko Hayashiファーストアルバム「エヴァンゲリオンⅠ」

イスラエル・フィルのヴァイオリニスト メナへムさんとの共演

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写真:イスラエル・フィルのコンサートマスター、メナへム氏との共演

  • 1993年、ヴァイオリニストとの共演がしたいという想いがあったので、イスラエルでお世話になったシムハ先生にお手紙を書いて、「ヴァイオリニストをどなたか知っていますか?」とたずねてみました。すると、「今度イスラエル・フィルが日本に行くときに、わたしの友達も入っているから、その人のところに行きなさい」と、名前を書いて送ってくれました。
  •  イスラエル・フィルの来日演奏会終了後、また楽屋に行って、「メナヘム・ブラアーさんはどの人ですか?」と、知っていたオーボエ演奏者に聞いてみました。すると、「待ってて、連れてくるから」といって連れて来てくれたのが、なんと、コンサートマスターだったんです!一番前で指揮者と一緒に音楽を作っていく、一番上手い人ですね。
  •  もう、後ろの方の人で十分だと思ってたんですよ。イスラエル・フィルの人ですからね。そんな巨匠だったからびっくりしました。でもその人は、シムハ先生の友達でしたから、ホテルの自分の部屋まで連れてってくれて、飯でも食おうかって言って。それで僕は、「このテープなんですけど」と、持ってきていた録音テープを渡しながら、「もし、テープを聴いて気に入ってもらえたら、今度僕と一緒に演奏してくださいますか?」と、めちゃくちゃなことが、口から出てしまったんです。「まず聴いてみる」と言って持って帰ってくれました。

  • その後、何ヶ月か待って、全然が返事来ないね、と言っていたら、ファックスが来たんです。そこにはテープを聴いて、感動したって書いてあって。それで、コンサートは、イスラエルでするか日本でするかっていうことで、日本に来てくださいとお願いしました。
  •  でも、どうやって招聘するかやり方も全然わからない。いろんな人に聞いたり、尋ねて回ったところ、協力者が現れて実現したんです。日本の古都ということで、姫路と京都と奈良の3公演の開催が決まり、ホールでの録音も行い、CDも作りました。
  •  朝日新聞の「ひと紀行」という欄にも記事を掲載していただいたり、ニューヨークからきたユダヤ人や韓国出身の女性もボランティアで助けてくれて、いろんな人が協力を得て、実現されました。

  • 当時僕がやっていた音楽教室の小さな防音室で、メナヘムさんは、シベリウスのコンチェルトとか、いろんな曲を弾いてくれました。その音は、一人の人が演奏しているようではなくて、100人ぐらいの人がいるみたいに聴こえるんですよ。オーケストラが入ってきたような。
  •  そのときのコンサートの曲目は、モーツァルトのヴァイオリンとピアノのソナタ、バッハのヴァイオリンとピアノ曲、ユダヤ人作曲家のシェーンベルクの曲で、ヴァイオリンとピアノの為のファンタジー、それと僕の自作曲でしたが、メナヘムさんは、練習時に、この指揮者だったらこういう風に表現するとか、自分がそれまで体験したことをいっぱい教えてくれるんです。「第一テーマ、第二テーマも、同じ顔して弾いていたらあかん。顔を変えろ」って言うんですよ。ぱっと笑って弾いたら、ぱっと音楽が変わるんです。「表情変えろ!そこで!」って。生きたレッスンをいっぱいしてもらって、毎日8時間、猛特訓。ふたりともくたくたで。本当に充実した2週間でした。

  • そして、そのコンサートを録音してくれたのが女子パウロ会。女子パウロ会はカトリックなんです。歴史的にみて、カトリックとユダヤ教といったら迫害の歴史があるんです。ですから、協力関係を結ぶのはあまりないこと。
  •  他にも、シャガール展のコンサートのときにも、大使館を3つた訪ねたんですが・・・フランス、ロシア、イスラエル。そうしたら、3カ国ともともメッセージを書いてくれて、後援についてくれたんです。こういうことも、歴史的にないらしいです。イスラエルとロシアが一緒になることとか。それについては、青山大学の教授が、「これは奇跡です!」と言って、新聞記事に大きくとりあげられていました。
  •  通常は共同で何かをしない国同士が協力してくれたのは、シャガールの絵と音楽だったからできたのかもしれない。