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神様の音楽家になりたい。平和の架け橋となるために。
作曲家・ピアニスト 林 晶彦さん

2014.10.04 update|インタビュー

インタビュア: マヤカ・井原順子

作曲家、ピアニストとしてご活躍の林晶彦さんから生まれるメロディはハートの奥に響きます。今回のインタビューは、林さんの奥様である智子さんから、林さんの代表曲のひとつである「平和を求める祈り(詩はアッシジの聖フランシスコ)」の曲を多くのひとに届けるため、動画を編集して欲しいとご連絡をいただいたことから始まりました。林夫人が教会でのお祈りをしていたときのこと、東京オリンピックの会場で、林さんが奏でるこの曲を世界中のひとたちと共に聴いているビジョンが現れ、そのことが忘れられないでいるとのことでした。深いメッセージが込められたその詩と曲、その作曲者である林さんを多くのひとに知っていただくため、西東京にある林さんのご自宅を訪ねました。


17歳、単身パリへ~ロック魂を胸に~

━━━現在、作曲家、ピアニストとしてご活躍でいらっしゃいますが、ピアニストになられたきっかけをおしえてください。
img_0.jpg一番初めは、兄がギターをやっていた影響で、小学校5年生のときに僕もギターをやり始めたんです。中学に入ってからはバンドを組んで、ロックをやっていました。でも、その頃、バッハの音楽と衝撃的な出会いがあって、急にクラシックに転向してピアノをやり始めました。そこから、クラシックの作曲家や今まで知らなかったいろいろな世界が一気に広がって、外国で勉強したいという強い想いが沸いたんです。
写真:初めて買ったレコード、ローリング・ストーンズの「黒くぬれ!(PAINT IT, BLACK)」

━━━海外でクラシックピアノや作曲の勉強をしたいと思われたのですか?

  • はい。日本の音楽大学には行く気がなかったんです。いろんな経験をしたいと思って。親は大学を出てから行きなさいと言ってたんですけど、17歳の時に高校を中退して、フランスのパリに行きました。そこでピアノと作曲の勉強を3年しました。でもはじまりはロックなんですね。今年の3月にローリング・ストーンズのコンサートに行きましたが、自分にとって原点に戻ったみたいな気がしました。そういうロック魂は自分の中にもあって。
  •  バッハの影響で、クラシックの世界に入って勉強はしましたけど、バッハの曲にこの音楽は、人を裏切らないと感じたんです。その上、即興的でジャズのように型にはまらないっていう。
  •  僕が15歳のその当時、ロックでもクラシック曲を題材にアレンジされたものが色々出ていました。1970年の大阪万博では、世界中の音楽家のパビリオンがあって、毎日通いました。新しいものが一気に入ってきて、開けていくような時代でした。

━━━社会に対しての反骨のようなものもあったのでしょうか?
f87823a943bd545771a93e9a9c8f213f.jpgかなりありましたね。学校に対しても。外国に出たかった理由は他に、その頃、ヘルマン・ヘッセやその他外国の文学や哲学の本ばかり読んでいたこともあると思います。それで、何にも影響されず、自分の音を探していけるのが、パリのような気がしたんです。いろんな詩人や絵描きさんがいたり、様々な芸術が生まれているところですよね。それと、すごくミーハーなんですけど、そのときフレンチポップスのスーパースター、ミッシェル・ポルナレフの曲が、とても流行っていたんですね。パリに行ってはじめてコンサートに行ったのがミッシェル・ポルナレフでした。
写真:1972 年に大ヒットしたミッシェル・ポルナレフ「愛の休日(Holidays)」

━━━バッハは好きだったけど、ドイツには行かずフランスに行ったのですね?

  • そう。だから、「レコード芸術」という音楽誌に、「バッハに影響を受けたのに、ドイツに行かずにフランスに行ったすごい変わり者」と、書かれたことがあった(笑) 本当にクラシックの音楽家になるんだったら、ドイツはいいでしょうけど、その時は、何を自分が一番したいのか、何を作り出したいのかを探していた時だったので、僕にはパリだったんです。それから、自分が経験しなければだめだと思いました。自分が経験したことしか音楽にならないと思ったから。例えば、ビートルズでも、全然音楽習ったことないのに、ああいう曲作ったでしょう?だから、学校の勉強みたいに、机に座って勉強するもんじゃないなと思ったんです。自分でいろんな国に行って、いろんな体験をしてみたいというのが17歳のときに日本を飛び出した理由です。

━━━フランスには知り合いがいたのですか?

  • 誰もいなくて(笑)。フランス語は出発前三ヶ月ぐらい勉強しましたけれど。

━━━17歳で、海外へひとりで旅発つということに不安はなかったですか?

  • 全然怖くなかった。空港では、家族みんなが泣いていましたけど、僕はもう、「やったぁ!」という感じでしたね。

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写真:フランス、パリ。ショパンのお墓の前で。

━━━音楽学校はパリに着いてから自分で見つけたのですか?

  • 学校は日本から行く前に見つけて、コンタクトをとっていました。でも結局、その音楽学校は入ったけど合わなくて、自分で先生探すことになったんですけど。
  •  あるコンサートに行って、とても感動した音楽家に出会ったんです。それで、楽屋裏に行って、「ピアノを教えてください」って頼んだんです。そしたら、教えてくれるって言うんですね。家に呼んでくれて。向こうの人って、とても開かれているから、こっちがものすごく情熱的にお願いすると、受け入れてくれるんです。
  •  それで、3年間パリにいました。その間、パリで急性肝炎という大きな病気になって、入院して、音楽も何もできなくなった時期がありました。その時に臨死体験をしたんですが―
  •  ある晩、寝ていたら、地球を外から見ていて、それは夢じゃなくて現実的に見えました。その時に神様という存在をすごく感じて、涙がぽろぽろ出てきました。何かバーっとオゾン層のようなものがあって、地球を覆っているんですよ。ものすごく綺麗だから、それだけで涙が出て来たんですけどね。地球自体がひとつの魂みたいな、ガラスの魂みたいに見えて。でもこの中で、なぜ戦争や人種差別とかいろんなことが起きているんですか?って何かに向かって問いかけた。そうしたら、言葉にならないもので、直接ゆるい電気のようなものがきてこう答えてくれたんです。「人間がどうあろうと、わたしはあなたを愛している」って。それでまた涙がバーっと出て来て、赤ちゃん状態になって。
  •  その体験の後、今度はイスラエルに行きたくなった。それで病気が治ってから、イスラエルに行くことになったんです。それは日本にいる親からも、パリにいる先生や友人からも、みんなに反対されたのだけど。