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イスラエル 魂の交流

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写真:イスラエル、エルサレムにて。

━━━なんでイスラエルへ行きたくなったんでしょう?

  • 友人がイスラエルの曲のテープをくれたんですが、病気のときにそればかり聴いていました。クラシックも聴けなくなっていたので。それは、女性シンガーがギターを弾きながら、ヘブライ語で歌った曲で、意味はわからないんですけれども、直接魂に触れてくるんです。
  •  その他の理由としては、イスラエルのオーケストラがパリに来たときに、コンサートへ行ったのですが、その時にマーラーの交響曲第二番「復活」という曲を、ズービン・メータというインド出身の指揮者で演奏されたのです。その音を聴いたときにもう、鳥肌が立つくらい感動したんですね。奇跡のオーケストラと言われていました。それでみんなの反対を押し切って、パリで持っていたピアノを売って、それを旅費にしてイスラエルに行きました。

━━━イスラエルでもピアノを学んだのですか?

  • はい、ロシア系のピアニストで、当時イスラエルで一番上手と言われていたピアニスト、ボリス・ベルマンに習いました。イスラエル・フィルの練習も、ずっと見せてもらっていました。イスラエル・フィルは、パリで聴いて感動したあのオーケストラです。
  •  リハーサルを見せてもらうのが、一番勉強になるんです。どうやって指揮者がオーケストラと音楽をつくっていくかとか、とてもよくわかりました。

━━━よくリハーサルを見せてもらえましたね?

  • オーケストラの中に、山岸さんというチェリストがいて、その方が日本人だったので、いろんな場所での演奏会に入れてくれました。バスでの演奏旅行も一緒についていったり。

━━━荷物持ちとして?

  • いえ、荷物は持たなかった(笑)
  • 普通に楽員みたいに一緒についていって、イスラエル中、バスでいろんな演奏会に行きました。

━━━懐が広いですね。

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  • そのときの指揮者はイーゴリ・マルケヴィッチという、大巨匠の指揮者だったんですが、本当に活きた勉強さをせてもらいました。
  •  それで、ある時、ウラディーミル・アシュケナージという有名なピアニストも出演していたことがあったのですが、その人はとても尊敬するピアニストだったので、「ピアノ、教えてください」って頼んだら、「いついつ、ここの電話番号のところにいるからいらっしゃい」って言ってくれて!それで呼んでくれて、レッスンしてくださったんです。
  • 写真:林氏が敬愛するピアニストの一人、ウラディーミル・アリレナージ。

━━━それはすごい!無料で?

  • 無料で(笑)

━━━巨匠にいきなり飛び込んでくる人も、あまりいないのかもしれないですね。

  • そう、みんな遠慮して。イスラエルの人でも遠慮して行かないらしいんです。チェリストの山岸さんには、「君はすることがぶっ飛んでる」って言われました。

━━━イスラエルにはどのくらい滞在したのですか?

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  • 1年居ました。その1年の滞在の中で、その他にも忘れられない出会いがあります。ヘブライ語の先生でシムハ先生とうい先生なのですが、その方がよく僕を家に呼んでくださって、ご飯食べさせてくれたりしました。あるとき、シムハ先生が若いときのことを、僕の手を握りながら話してくれたんです―
  •  彼はポーランド出身のユダヤ人で、15歳のとき、ヒトラーが占領を始めたポーランドにいました。その戦下で、ある日、家族みんなが庭に出されて、自分の目の前で親が射殺されたんです。そのことを僕にしゃべったんです。わんわん号泣しながら。僕はただ聞くことしかできなくて、僕も一緒になってわーっと泣いたんですよ。もう泣くしかできなかった。慰めることなんて、あまりにも溝が深すぎてね。でもその時、シムハ先生と僕の心が通じ合った気がした。深い友達になったんです。
  •  僕には、その先生との出会いがすごく大きくて、イスラエルに来たのはこの先生に会うためやったって思ったんですよ。いろいろ辛い体験を聞いても、何も自分はできない。でも、これから自分は音楽で何かしたい、とその時強く思いました。
  •  そして、その先生に言われたんです。「もし演奏家になるんやったら海外へ行けばいい、でももし作曲家になるんやったら、自分の国が必要だから、自分の国に帰りなさい。そこから出てくる音楽をつくりなさい」って。
  • 写真:シムハ先生ご夫妻。

レナード・バーンスタインとの出会い~「あなたは音楽で平和のために働きなさい」

  • スクリーンショット(2014-10-01 19.53.49).png日本に帰国後、ニューヨーク・フィルが大阪にきたので、その演奏を聴きに行きました。ウェストサイド物語の作曲家でもある、レナード・バーンスタインが指揮者だったんです。彼はユダヤ人の音楽家で、イスラエル・フィルの名誉指揮者でもあって、イスラエル・フィルととても深いつながりがありました。
  •  コンサート終了後、僕は列の最後尾に並んで、バーンスタインとお話したんですね。イスラエルに行った話や、西宮にあるアンネ・フランク教会の話など。そうしたら、何ヶ月か後に、バーンスタインからお手紙が来て、「あなたは音楽で平和のために働きなさいね」と書いてあったんです。
  • 彼は世界中の若者たちを集めて結成したオーケストラの指揮をしていたり、素晴らしい活動をたくさんされていてる人でした。楽団員のこともすごく大事にして、絶対にクビにしなかったそうです。イスラエル・フィルのコンサートマスターのメナヘムさんからも聞いた話ですが、この人のためにだったら、命かけて弾こうと思うんですって。バーンスタインはそういうものを持っていたそうです。僕も彼のような音楽家になりたいと、強い憧れをもちました。
  • 写真:レナード・バーンスタイン