いざ、ボージーストーンのふるさとへ
- シ:ボージーストーンに最初にさわったとき、手から離れなくなったんです。(いったい何なんだろうこの石は)。僕が旅してきたザンスカールとか、ネパールやニューギニアとかバリで感じたものが、そこにコンパクトにまとまってる感じがすごくしたんです。
- 「いったいどういう石なのか」と紹介してくれた本人に聞いても、確かなことが全然わからない、ちゃんと情報が入ってきてない。そこで探検部の本領を発揮して、2002年のツーソンショーの話を聞いて、そこに行ってみたんです。
“ボージーストーン”
━━━もう行っちゃったんですか?
- シ:自分としては、当時、かなり煮詰まっちゃってたんで、どこか行かなきゃみたいな気持ちだったんです。10年くらい全く旅をしてなかったんですよ。そこで、ボージーを採集しているのはカレンという女性だということがわかって、カレンを紹介してもらうために、その6月にデンバーで開催されたニューエイジトレードショーに行きました。
- カレンと出会って、ボージーが採れる場所が、たまらなく見たくなって、いきなり「山に一緒に連れていってくれないか」という話をしてしまったんです。カレンは別にびっくりもせずに、「いいわよ」と返事をしたんです。それで、9月にカンサスに行きました。カレンは、これまでも人を連れていったことがあって、実は結構懲りてたんですよね。採集はかなり過酷なんですよ。砂漠みたいなところでかなり暑いし、蛇は出るし。熱射病もなっちゃうし。誰か連れていっても、いつもベビーシッターみたいになっちゃう。だから二度とやだと思ってたらしいだけど、なぜかあなたはいいと思ったと言うんですよ。実際行ってみたら、僕は元探検部なんで、すごく役に立つわけですよ。カレンが採集した石を背負って後ろからついて回って。そしたら、カレンも喜んじゃって、まるで本当の息子ができたようだって感じになった。それから、ずっと毎年、少なくとも年に1回は一緒に山に行き続けているんですよ。
メロディとの出会い
- シ:石のふるさとにいく、実際に採集している人に会うと、ちゃんと情報も入ってくるじゃないですか。一緒に採集すると、信頼関係もできるし、いろいろなことを教えてもらえる。自分の意見をあまり入れずに、「こういう石なんですよ」ということを伝える、ちゃんと情報を伝える卸屋さんっていなかったんで、すごくありがたがられて。そしたら、楽しいじゃないですか。これ、仕事になるなあと思って。石の仕事をしていれば、石ってどこでもとれるから、また、世界中にいけるかなあという思いもあって、石やクリスタルを扱うようになっていったんです。
- 石を産直のような形で仕入れて、きちんと情報を伝えるという一つの柱はあったんです。僕は大元のソースの人がどういうことを伝えたいのかを伝えることができればいいし、ちゃんとまぎれもないものを。いろいろあるじゃないですか。顔料で染めたりとか、加熱処理で発色させたりだとか、そういたものが一切ない、天然のものをきっちりとした情報で伝えていくんだというのが、一つの柱だったんですよ。けれども、目に見えないところで石がどういう働きをするのかということに関しては、あまり自分では確信がなかったんですよ。迷いを持ちながらやっていました。
- そんな時期ですね。メロディに初めて会ったのは2003年の2月なんです。ツーソンのミネラルショーで紹介されたんです。メロディという人がどういう人か、僕も当時はよく知らなかったんですよ。真っ白い髪で背も高いし、笑顔もステキだし。「ああ、何てステキな人なんだろう」と思ったくらいで。ただ、一緒に話すととても楽しいんですね。冗談のツボとか笑うツボが合って、とにかく楽しいんで、デンバーに行く度に会ってたんです。食事に行って、お酒飲みながら、いろいろ話をして。それから、毎回ですね。アメリカに行く度に、メロディと会って石の話を聞いたりとか、本の話を聞いたりとか。でも、僕、一切メロディを仕事に使おうとか、商売に使おうとかいうことを全然思ってなかったんですね。だから、彼女も安心して友達として付き合えたんだと思います。すごくいい友達だなあ、石のことをすごく教えてくれるし、ありがたいなあと思ってました。
- そうこうしているうちに、僕も石のメタフィジカルな側面とか、バイブレーションって扱っていれば身近に感じるじゃないですか。何か、ちゃんとした、柱となるものが欲しいなと思い始めたということがあり、また、日本にメロディの素晴らしさを伝えたいなということもあって「日本でワークショップをやってくれないでしょうか」と頼んだら、もう待ってましたという感じで「行く、行く」と。
- それで、2006年に来日してもらいました。そのとき、自分が通訳することになったのですが、そのとき役に立ったのが、それまで3年間さんざん一緒に冗談いったり、食事したり、お酒飲んだりしてきたことだったんです。メロディが、何が言いたいのか僕の英語の理解力以上によく伝わってくるんですよね。ただ、それでも不十分なところがあって、自分でもメロディのワークを受けました。それはプラクティショナーになるためのワークショップでしたけど、それを受けて、その後にティーチャーになるためのワークショップをドイツで受けたんです。ティーチャーになった上でレベル1とレベル2の通訳をやったら、すごくやりやすいんですよ。実際に自分が受けて学んで、通訳もして、何回も何回もするじゃないですか。すると、すごく身についてきて、石に対する感じ方とか、石をパートナーとして生きてる在り方みたいなものが固まってきて、とても良い感じになったんです。
- 2009年にメロディの日本人対象のティーチャーコースを成功させることができ、今、日本には僕を含めて14人のティーチャーが誕生しています。
Melody(メロディ):
世界的なベストセラー「LOVE IS IN THE EARTH」シリーズ(2010年現在全8冊)の著者。そして、長年にわたり世界中で数多くのワークショップを教え、プラクティショナーを育成するクリスタルワークの第一人者。多くのメタフィジカルストーンの名付け親であり、「メタモルフォーシス・クォーツ」「ライトニング・クォーツ」「スーパーセブン」などを著書で初めて紹介するなど、石の持つ素晴らしい性質を伝えるためにさまざまな活動をしている。米国メリーランド州生まれ。理学士、数学修士。コロラド州在住。
ザンスカールの原景
- シ:ちょうどティチャーコースを開催する前に、いろいろな迷いが生じたので、クリスタルのワークを受けようと思ったんです。できたら日本人の男性のクリスタルワークを受けようと思って、京都で受けました。そのワークはすごく良かったんですけど、そのときにザンスカールのときのシーンが出てきたんですよね。ザンスカールは、冒頭でもお話したインド北部の高地。標高5000メートルのところで動けなくなっちゃたあの場所です。そのときの山とか月とかの存在をすごく感じたんです。それが、今の僕の原点にあるということがすごくよくわかったんです。石を仕事にする、石のことを伝えていくことの一番の原点。ザンスカールのあのときから仕組まれていたんだなあということが、本当に腑に落ちたんです。もちろん、原点というのは前世からあるのかも知れないんですけど、今生の計画が作動するスイッチ。それがザンスカールにあったんだなあということがすごくよくわかった。だから、テーチャーコースも自信をもってやろうと決心できたんです。
- 僕、あまりビジョン見えるタイプじゃないんだけど、ビジョンが見えてきて、テントから首出して月を眺めているんです。まるまる、あのときの情景なんです。そこで、山や月から「私たちの“うた”を損なうことなく伝えてください」というメッセージをもらっていた。周囲は自然だし、すべてはミネラルといえばミネラルじゃないですか。そこにやっとたどりついて、それを仕事にすることができてるなあという実感がすごくあった。どうしても人間の気持ちとか期待とかで、捻じ曲げて伝えちゃうじゃないですか。期待が大きすぎて、恋愛がうまくいくとか、金運がよくなるとか。でも、そうじゃなくて、石、ミネラル全体ですよね。それぞれに“うた”がある。
- 今でも、自分でクリスタルワークを自分にやると、いろいろなクリスタルが出てきて“うた”を歌ってるというか、メロディを奏でているんですよね。それが感じられると、自分がやるべき仕事ができているなあと思うんです。
━━━しかも、関わった方がメロディさんという。ちゃんとストーリーになっていますね。