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行き先は外から内へ 本当の自分を探す旅
旅行会社「(株)クラブワールド」代表 大村真吾さん

2011.11.13 update|インタビュー

インタビュア:旭享子 写真:向千鶴子

大村真吾さんは、セドナやマウントシャスタというスピリチュアルリゾートの旅を扱う旅行会社の社長さんです。彼は、セドナで内なる声を聞いて、独立を決意しました。そこから、彼の人生はどんどんスピリチュアルに。今では、旅行会社のツアーはもちろんですが、その他にワークショップなども開催しています。そんな大村さんの変容のきっかけや、今、現在感じている喜び、そしてこれからの夢などをうかがいました。

初海外は小さいときから気になっていたチベット

━━━大村さんはどちらのご出身ですか? 

  • 僕は兵庫県の西宮出身です。大学は京都でしたが、就職してからはこちらです。阪神淡路大震災のときは、もう、こっちにいました。

━━━大学生のときに、結構ディープなところを旅してらっしゃいますよね。それはどういった理由で?

  • 小さい頃から、地図を見るのが好きだったんです。カラーの地図を見たら、海が青、平野が緑。山になると黄色くなって、それがだんだん茶色に変わる。世界地図をみていたら、チベットのあたりって、その茶色が黒に近いような色になってる。(これ、いったいどないなってるんやろ。どんな場所なんやろう)子供の頃に不思議だと思った感覚がずっと僕の中にあって、大学生になって海外旅行に行こうと思ったときに、まず、チベットに行こうと思ったんですよ。
  •  それでチベットに行って、チベットをうろうろして、それからヒマラヤに渡って、ネパールやインドに行ったんですよね。

━━━子供の頃行きたかったチベットに行って、そこで印象に残っていることは何ですか?

  • とにかく空の青さに感動しました。空ってこの辺で見たら、水色じゃないですか。それが、濃紺のように見える。空の色はこんなに濃いんだと思ったのと、人工衛星が見えてびっくりしたのと。もちろん、風景も美しいんですが。あまりの青さに驚きました。

━━━チベット、インド、ネパールのほかに訪ねた国は?

  • トルコ、フランス、イギリス。主にヨーロッパですね。ヨーロッパを一通り回って、トルコ行って、スペインにも行って。ロンドンからアメリカに行って、ニューヨークに行ってロンドンに戻ってきて。いろいろな国を旅しました。

IMG_7379.JPGインド、ヒマラヤ ケダルナート。

人がやらない仕事をしたい

━━━そういった経験を生かそうと旅行会社に就職されたんですか?

  • そうですね。マップインターナショナルという会社なんですが。元々は学生向けの飛行機のチケットを扱う会社でした。
  •  秘境とか辺境とか、あまりメジャーでない場所に行く学生が切符を買いにいく会社で、僕もそこで切符に買ってたんです。僕が、変わったところばかり旅行しているもんだから、「行ったことあるんだから、旅行の説明してくれないか」と頼まれてそこでアルバイトをしたのがきっかけです。大学在学中に、大学生相手に卒業旅行の説明をしたりしてましたから。それで、そのままその会社に入社して、十数年いました。

━━━その頃の仕事ってどういう感じだったんですか? 

  • 面白いことを仕掛けるのが好きでしたね。旅行でも、会社の中のイベントなんかでも。人がやってないこととか、他の旅行会社がやってないこととか、そういうことをするのが好きでした。
  •  巡り合わせもあったと思うんですけど、多分、日本人で初めて中国人向けに中国語で飛行機のチケットを売る営業所を作ったりしました。まずは、英語で営業する営業所というのを作ったんです。そこに結構ニーズがあったので、「それなら中国語もやろう」という感じで中国語の営業所を作ったんですよ。ちょうど、中国からの留学生が増えてきている時期でした。天安門事件のまだ前でしたから。
  •  大学では中国語を専攻してたし、中国には何度か旅行をしているし。僕自身も、中国に縁があったんでとりかかりやすかったんでしょうね。仕事の内容は、中国人が自国に帰る飛行機のチケットを予約するのに中国語で対応する。だから、僕以外のスタッフは殆ど中国人でした。
  •  そのときに感じたのは、自分は結構、自分勝手なタイプの人だと思っていたんです。こうと思ったら、自分の考えを通すとか、そういうところがありましたから。でも、中国人の人と一緒に仕事をするようになってから、それでは仕事がにっちもさっちもいかないということに気がつきました。

━━━中国人は自己主張する・・・。

  • めちゃくちゃ自己主張します。自己主張のし合いになったら仕事にならないので、これは、「人の話は聞かなきゃあかん」と。そういうことを痛感しました。異文化でしたね。日本にいながら、異文化の中にいたんです。
  •  お客さんも中国人、スタッフも9割は中国人だし。文化的には中国文化なわけです。その頃の中国って、おつりを投げて寄こすような、そんな横柄なところがありました。今みたいな感じじゃなかったんですよ。だから、毎日、スタッフの中でも大変なことが起きてくる。それを調整するには、両方の話をよく聞くとか、上手い落としどころを考えるとか、そういうことが必要で、それをすごく心がけるようになったんですね。
  •  それから、中国語だけじゃなく違う言語もやろうということになって、タガログ語とかタイ語とか、スペイン、ポルトガル語とかそういう対応も始まりました。そうすると、さらにいろいろな国の人が集まってくる。会社がインターナショナルになってきて。僕がやっていたのは、スタッフの面倒をみたりとか、それぞれの言語のマーケットに対してどうやって遡及をするとか、そういうことだったんですが、なかなか勉強になりました。
  •  その後、3年くらいしてマップの本社に移って、飛行機のチケットの仕入れを担当していました。退社前の一年は、もう一度、外国人専門の部署で働いて、それで辞めたという感じです。

内なる声に従って会社を辞める

━━━会社を辞めるきっかけとなったセドナへは、なぜ行かれたんですか?

  • セドナはもともと行く予定ではなくて、メキシコに行くつもりだったんです。プライベートで、そのときはまだ結婚してない奥さんと一緒に。その彼女が、セドナの写真が載ってる本を見つけてきたんですよ。
  • 「へえ、こんなところがあるんや。きれいな赤土だから、メキシコやめてこっちに行こうか」そんな感じで、とりあえず、近くの空港はフェニックスだということがわかったので、そこからレンタカーを借りて向かったんです。当時は、セドナの情報なんて殆どなかったですから。
  •  何とかセドナの町に着いて、向こうの人に「ベルロックという岩があるよ」と教えてもらって、そこに登ったんです。そこで、チベットのラマ僧に出会ったんです。ラマ僧は最初の旅行でよく見かけた姿でしたから。
  • (チベットのラマ僧が何でこんなところにいるんだろう?)。
  •  不思議に思って、彼を見ていたら瞑想を始めた。僕もやってみようかなと思って、座って目を閉じた。そのときは、僕は瞑想なんか全然したことはなかったんですよ。ただ、真似て目を閉じただけ。でも、気持ちいいんですよ。風は吹いてくるし、太陽は暖かくて。気持ちがよくてぼうっとしてたら、急に、「今の会社を辞めて、新しいことを始めた方がよい」という声が聞こえたんですよ。

P3182793.JPGセドナ。鳳凰、シャスタの雲です。

━━━どこから聞こえたんですか?

  • 内なる声だったんでしょうね。でも、そのときは、外から聞こえたと思ったんです。
  • 「えっ? 何?」目を開けたけど、誰もいない。彼女にも「そんな声、聞こえたよ」という話をしたら、「何やろね」と。あの体験はなんだったんだろう、不思議に思いつつもゴルフをやって、ちょっと観光して、飛行機乗って帰ってきたんです。
  •  でも、次の日、会社に出社したときに、なぜか辞表を出してしまったんです。

━━━なぜかですか?

  • なぜか、自分でもよくわからないんです。もちろん、自分で書いたんですよ。でも、書いたこともよく覚えてないんですよね。それを提出しました。「声が聞こえまして」なんて説明したら、相手にしてもらえないから、一応もっともらしい理由を話しました。ペンディングされたりもして、辞表を出してから辞めるまでに3ヶ月くらいかかったんですが。そして、その3ヶ月後に、新しく会社を始めることになったんです。

━━━そのとき、仕事に対してはどんな気持ちだったんですか?

  • 実は、もういいかなという感じは自分の中にあったんです。そう考えてみると、やはり聞こえた声は内なる声なんでしょうね、きっと。顕在意識では、次の仕事が決まらないと不安だからという気持ちだったんでしょうが、潜在意識はそれを続けさせたくなかったんでしょう。だから、夢遊病みたいな感じで、わけもわからず辞表を書いて出しちゃったんだと思います。今から考えたら、夢心地みたいな感じだったのかなあ。とにかく、そのときのことはよく覚えてないんですよ。
  •  ただ、なぜか出しちゃった。出してしばらくしたら、この会社(クラブワールド)を始めるきっかけになる事が起きた。元々大阪にあった旅行会社から「一緒にやらないか」と声がかかったんです。そこは問い屋だから、お客さんには売らないんですよ。お客さん売りをする部門を作りたいという話で「僕辞表を出したんです」「じゃ、ちょうどいい」ということになって、ここの会社のリテイル部門を作ることになりました。
  •  3月に会社を辞めて、6月には、新しい会社を始めたんです。4人で始めたんですが、最初からそううまく行かないですよね。赤字だったんです。その秋に、その会社の社長から電話がきて、「もう自分でやったら?」といわれたんですよ。今までかかった何千万かのお金は、個人的にその人が僕に貸したことにしようと。だから、3年か4年かけてかかった分を返してもらったらいいと。「その代わり、机もコンピュータも好きにしたらいいやん」そう提案されて、「わかりました、そうします」と言って、今度は自分の会社を立ち上げました。そのときに前の名前の“AJT東京”から、“クラブワールド”に変えたんです。

クラブワールド誕生

  • それまではチケットを主に売ってました。僕はセドナで人生が変わったので、セドナのツアーも紹介してたんですけど、最初はなかなかお客さんが来ないんですよね。

━━━初めてセドナをツアーとして売り出した?

  • だと思います。セドナへのツアーを定期的にやっている会社としては。でも、数年間は誰も来なかった。仕方ないから格安航空券ばかり売ってたんです。

━━━流れが変わったのは何年くらいですか?

  • 5年くらい経ってからです。スタッフにバリに詳しい人がいて、セドナとバリの旅行を扱っていました。バリの旅行のほうが売りやすかったんです。ただ、バリ旅行は、あらゆる旅行会社がやってますから、そこと対抗しても面白みがないので、バリの隠れ家ホテルだけをやろうと決めたんです。隠れ家ホテルという表現がこんなに一般的になる前です。CSの「旅チャンネル」と一緒に、隠れ家ホテルの番組を作ったりして。まあまあよかったんですが、そうすると、途端に、他の旅行代理店でも扱うようになってきた。JTBのパンフレットにまで、隠れ家ホテルと書いてある。
  • 「もう、隠れ家違うやん」となって、急速に僕らの熱意がなくなっていったんです。もうやめようかみたいになっていたところに、一本の電話がかかってきたんです。
  •  当時、隠れ家ホテルの最高峰はアマンリゾートで、そこだけは扱っていきたいという思いがあった。これからどうしようかみたいなときに、シンガポールから電話かかってきたんです。昔のスタッフだった彼女から電話がかかってきたんですよ。彼女が「アマンリゾートに興味ありますか?」と聞いてくる。「もちろん、あるよ」と答えたら、「契約しますか?」というんです。「契約できるの?どうして?」「私、今、アマンリゾートと働いています」と。それで日本の担当の人を紹介するからということに話が進んで、アマンリゾートと契約できたんです。

━━━人の縁ですね。

  • それからアマンリゾートと、セドナを扱い始めた。でも、その頃は1年に数人で、大部分が格安航空券の仕事でした。
  •  6年前くらいかな。ちょっとずつ、セドナとアマンリゾートが増えてきた。増えてきたときに、問い合わせの電話がかかってきたり、お客さんがやってきたりする。話が長くなるわけですよね。 「こんなにこのホテルいいですよ」「セドナに行ったらここに行ったらいいですよ」盛り上がって、旅行につながりそうになるところに、電話が鳴る。「明日のバンコクに行きたいんですけど」みたいな電話がかかってくる。そしたら、急ぎですから明日のバンコクの手配をしなければということになってしまう。そんなことが続いて、「何かおかしくなるなあ」という話になって、8割くらいを占めていた格安航空券の、半分はやめてみることにしたんです。もちろん一大決心でした。ガーンと売り上げは減ったんですが、そのうち、セドナとアマンリゾートがちょっとずつ増えてきて、いつの間にか売り上げは元に戻ったていたんです。
  •  「うわ、こんなことあるんや」と思った。それで、残りの格安航空券の扱いもやめることにしました。一時的には売り上げが減るんですけど、また、ちょっとずつ戻ってきて、今の元型になっていったんです。もちろん、売上高ははるかに落ちているんですけど、僕たちとしては、心地がいいんです。それで、セドナとアマンリゾートの旅行専門店ということに、結果的にはなったんですね。

━━━そして、マウントシャスタにも行くようになった?

  • 人の縁があって。知り合いが向こうに住むことになって、シャスタを始めたり。バリ島は元々得意だったんですけど、スピリチュアルスポットの旅行をしたいと話したら、現地の人が、シャーマンを紹介してくれて、その人の出会いから弟子になって修行をしたりとか。セドナやマウントシャスタのほうでは、ネイティブアメリカンに「ビジョンクエストという修行をしなさい」と勧められ、抵抗したけれども、結果としてやってしまったり。それは、僕の役割じゃないしと抵抗したんだけど、やるはめになることが起きて。

シャスタハートレイク.jpgシャスタ ハートレイク。

━━━ビジョンクエスト、どうでしたか?

  • 四日間くらい、何も飲まないで、何も食べないで山の中にいるという厳しいものでしたが、めちゃくちゃ面白かったですよ。さまざまな気付きがありましたね。

━━━当初は、セドナの旅行もスピリチュアルスポットだという意識ではなくやっていたんですか?

  • 一番最初はそうですね。そのうち、毎年行くようになって、向こうのヒーラーさんに「あなたはセドナで仕事をする。セドナを使った仕事をする」と予言されたり(笑)。
  •  そんな経験を重ねながら、スピリチュアルとはどういうことを勉強し始めたんです。訪ねる場所で、その土地のシャーマンやヒーラーさんに、「お前はヒーラーだ。ヒーラーをしなさい。そういうことを勉強しなさい」と言われたり。ついには「お前は何で旅行業をやっているんだ? お前は向いてない。こっちの世界にこい」とも言われたりしたんですよ。言われる度に、「僕は旅行会社やってますから。そっちじゃないです」と答えながらも、だんだん、だんだんスピリチュアルな道にはまっていった。あげくの果てにバリのシャーマンに呼ばれて修行をしたり、ビジョンクエストしたりして、今に至るわけです。

本当の目的は自分の本質に気づくこと

━━━今は、何のお仕事なんですか?

  • 旅行会社ですよ。間違いなく旅行会社です!

━━━ヒーラーのクレッグさんを呼んでセミナーを開催してるのは?

  • クレッグとは5、6年前から知り合いで、日本に来る話があったんです。そのとき、うちでもセミナーをやってみようかという話になって、実際に開催したら結構、人が来てくださって。7、80人くらいいらしたんでしょうか。成功だったわけです。では、次も考えましょうということになって、始めました。初めは、「人を呼んででうまいこといくんかなあ」と思いもあったんですが、あまりそこは深く考えずにやってみたら、お礼を払えて帰ってもらえたから、うまくいったんだろうと。それから、定期的に開催しています。今後も、そういったスピリチュアルな方を招聘して、セミナーなどを開催するということは考えてます。
  •  先ほど、「何業なんですか?」というご質問されましたけど、会社のやってることは旅行業です。でも、僕は、旅行は、一つのゲートウェイだというふうに思っているんです。それは何のゲートウェイかというと、それぞれの人が、自分の本来やること、やるべく生まれてきていることに気づくための入り口だと。旅行がその入り口だという切り口があってもいいのかなあと思っていて、僕はそれを提案していると考えています。だから、旅行を売るのが目的じゃなくて、僕の目的は、それぞれの人が、自分があるべき姿に気づいてもらうことなんです。

━━━それは、場としてヒーリングスポットに行ってもらうとか。

  • そういったところに行ってもらったり、クレッグのセミナーにきてもらう、あるいは、僕が開催するセミナーに来てもらう。そこで、それぞれの人が自分の本質的な部分に気づく、それが私の目的ですね。

アセンションとは“みんなが笑ってる平和な地球になる”こと

━━━れまでで一番印象に残っているところはどこですか?

  • 最初に行ったチベットです。

━━━いろいろ旅行されて、最大のパワースポットはどこだと思われますか?

  • それは、自分自身の内側ですね。

━━━それに気づくために非日常の旅に出る・・・。

  • その旅行が、物理的な距離を動く旅行であってもいいし、瞑想であってもいいと思うのですが。

━━━質問の角度を変えて、読ませていただいたブログの中に、震災後、みなさんにもっと元気をということばがあったのですが、その元気を回復するために、非日常の場所としておすすめのパワースポットはどこですか?

  • 淡路島ではないですか? いざなぎ、いざなみという古事記の世界があり、そして、あそこにはユダヤの遺跡もある。
  •  淡路島は、この国で一番初めにできた島といわれています。ですから、そこは日本の元型といってよいですよね。そこに行って、こんな大震災が起きて、これから日本がどうやって立ち上がっていくのかというときに、日本の原点に戻って、そこで自分がどう生きていくのかと考えてみる。自分がここにいることを感じて、昔、日本がここから始まったということも感じながら、じゃあ、自分の役割は何なのかを捉えなおす。それには、淡路島はぴったりな場所だと思います。

━━━これからの夢を聞かせください。

  • みなさんが自分の本質に気づくというようなことを、どれだけ多く提案していけるかですね。多くの人にそのゲートウェイをくぐってもらえるかということ。瞑想、散歩、海外旅行、セミナーもあるだろうし。
  •  最近、僕は、外から内に思考が変わってきているんです。セドナ、マウントシャスタ、バリ、それはそれでいい。でも、もっと内側にも見るべきところはある。身近なところでいうと、関心は海外から国内に移ってきています。
  •  スピリチュアル的な要素でいうと、答えは外にあるのでなく内にある。そういうふうに僕自身がシフトしているんですね。だから、国内のことや心の内側に向かうことをやっていきたい。
  •  国内の旅行を開催すること、月に1回のスピ散歩。そして、歩いていくにはちょっと遠いスピバス。これを定期的に行いたいです。僕個人としては、実は三六九の会というスピリチュアルなワークショップをやってるんです。例えば、ハイアーセルフのつながり方をお伝えするような。それは1ヶ月に1回という頻度なんですが、それも定期的に開催していきたいと思っています。今までは、人伝えでやってきたんですが、これからは、その情報もオープンにしていきたいですね。

IMG_0867.JPG富士浅間大社。

━━━最後に、大村さんは、どんなときに喜びを感じますか?

  • 仕事に関することでいうと、僕がすごくいいと思ってる場所にお連れしたとき「すごいね、ここ! 何で、こんなとこ知ってるの?」そう言われたらすごくうれしい。企画した旅に参加してもらった後に、「あれから、いいこと起きました」「すごく、人生が楽しくなりました」そう言われたら、めっちゃうれしい。ああ、じゃあ、この人はご自分の本質的なところに向かいつつあるんだなあと思えるから。
  •  みんなが楽に生きられたら、いつも笑っていたら、戦いや喧嘩なんてなくなってしまうから、地球は平和な星になりますよね。僕は、そういうことがアセンションということなのかなあと思っています。意識の変革ですね。いい具合に意識の変革をしてもらえたら、それが実感できたら、それこそ、僕の最大の喜びです。


インタビュー後の感想:
今年の3月下旬からセドナに行ってきた私は、セドナで人生の大きな選択をした大村さんの関西弁弾丸トークに、思いっきり惹きこまれました。あの場所は、やはりそういう場所だよなあ、熱い一時間を終えての私の感想。たくさんの人に、あの場所を体験してほしいと思いました。(た)


大村真吾 Shingo Ohmura
株式会社クラブワールド 代表取締役。1963年兵庫県西宮市生まれ。大学時代は各国を放浪。最初の海外旅行は中国からチベット。旅行がヤミツキになり旅行会社に就職。1999年秋、初めてセドナへ行く。「ベルロック」で、「今の会社を辞めて新しい会社を始めたほうがいい」というメッセージのようなものを受け、約10ヵ月後にこの会社を立ち上げる。それ以来、様々な興味深い人たちと出会い、目に見えない世界に興味深いことや世の中の本質が秘められていることに気が 付き始めて今日に至る。身近なパワースポットから、セドナ、シャスタ、ヒマラヤといった聖地を紹介。また、ヒーラーを招聘し、イベントを主宰。

現在、セドナ在住のクレッグ・ジュンジュラス氏のワークショップ開催中。
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